日本食再発見 4
やがて、白米が色も美しく、口あたりがよいために、やがて、都市の上層階級では白米の三度食が定着するようになりました。
ところで、主食が全国的に米一色になったのは、第二次世界大戦後の配給制度移行の話だということは、意外なほど知られていません。
戦前は、麦めしは上の部、普通はアワやヒエで、それに大根の干し葉や山菜を混ぜた粥を常食にしていたり、瀬戸内海や九州地方ではカンコロいも(切り干し甘藷)を入れたカンコロめしなどを食べていました。
ほんの四十年たらずで前の食生活にくらべて、現状の食生活は、毎日が正月のごちそうで、昔、冠婚葬祭などの日だけにしか用意されなかった特別の献立に近いのではないでしょうか。
明治以前の食事は、一汁二菜が平均的な料理数で、日常の食生活はひじょうに単調なものでした。
そのいっぽうで、この単調でかつ質素な食生活を打ち破るのが、特別な行事や節句の華やいだ宴の食事だったのです。
そして、前者を"褻の食事"、後者を"晴れの食事"とよびました。
"晴れの食事"は、家族全員の生活をより酬体化する目的があり、家族総動員で数日がかりで用意がおこなわれました。
たしかに、「晴れ」と「褻」があるほうが、食生活も変化があってより豊かになりますね。