日本的実存主義の結晶 4
正村竹一は岐阜県の貧しい家に生まれ、ほとんど小学校教育さえもうけたことのなかった人物でした。
「週刊読売」は正村の経歴をおよそつぎのように紹介していました。
「前歴を洗ってみたら、戦前は長い間バタヤをやっていたことが判明した。
立志伝中の人物の生い立ちは低ければ低いほどよろしい。
小学校もロクに出ず、ほとんど文盲にちかいといわれる正村氏は、ゾウリ取り出身の秀吉になぞらえられる値打ちは充分にある。
バタヤ当時の詳しい話など今日になって調べるスベもないが、バタヤが取扱う商品(?)の大将株は古金に古ガラス。
正村バタヤ氏はこの古ガラスを再生して、当時子供相手の遊び道具だった「ガチャンコ」の表ガラスに使用、これがパチンコとの、そもそものなれそめだったという。・・・」